ゆるふわふぢげたんカフェブログ

森の小さなカフェの常連の英語講師(藤本亮太郎)によるブログです。お店の日常をあげているインスタもよろしくおねがいします。@koshinkokunihon

2018年の訳文を発見して思うところをつらつら書いた【前半】

『英語教育』誌の「英文解釈演習室」に訳文投稿しはじめたのは確か昨年の4月号のときからだから,もうそろそろでこの新しい遊びを始めてから1年が経つ。Zの呼びかけから「勝負」として始まったこの遊びはどんどんTLの方々に染まっていって,直近の回では20名以上がTwitter出身だったようだ。

自分の出場経緯はというと,その当時(たった1年前だが)英語にそれなりに自信がついてきたということと,もともと負けず嫌いなので勝負と聞いて意気込んだ程度のことと思う。真面目に続けてきたのを振り返ってみると,電脳世界で友情が深まったり,自分に余裕が出てきたり,なにより読むことの意義についてなんとなく掴むところがあったりして,英語力が云々とか以上に有意義だった。解釈を通して見えてきたことを忘れないうちに言語化しておく。

(このエントリは「お前2022のはじめにこんなこと書いとるぞ」といつかの自分に読ませて恥ずかしさに身悶えさせる以上の効果を期待していない)

 

幸福な者というのは,あるがままの世界を生きる者のことだ。分け隔てなく慈しみ,博くものごとに惹きつけられる者だ。そうした者は,自らを幸福に保つのにこの好奇や慈愛を経るものだ。そして更に辿っている点といえば,この好奇や愛があればこそ,結局は自らも,他の多くの者を惹きつけるし,彼らに慈しまれたりもするということだ。愛の享け手たることが,まさしく幸福を呼び起こす。ところが,こちらが愛を無心してしまうと,愛の恩寵にはあずかれない。愛を享ける者とはむしろ,手荒に言ってしまえば,愛を差しのべる者のことである。

 

TLの方なら「あれじゃん!!!」と思うやつだ。ご存知,バートランド・ラッセルのThe Conquest of Happinessの有名な一節だ。この訳文は2018年6月の末に僕がこしらえた。予備校講師の土岐田先生主催社会人向けセミナーで課された英文だった。いま眺め返してみると,なにを思ってobjectivelyをこう訳したんだ?とか,potentの訳出絶対間違えただろ,とか,当時はウンウン唸っていたところについて,ある種の余裕をもって評価を下すことができる(気がする)。たった3年半前だが,ずいぶん成長したものだなと思う。この時は「解釈」という言葉を知らなかった。

 

「解釈」という言葉は,おそらく先の訳文を作ってから一年と少ししてちょうど北村先生の『英文解体新書』が世に出たくらいに——自分のボキャブラリの中で重要な位置を占め始めたと思う。それまでは見たことや使ったことがあったとしても,それほど身体に馴染んでいる言葉ではなかった。正直に告白すると,自分は大学受験時代にいわゆる解釈系教材(『英文解釈教室』やら『ポレポレ』やらその他有名な解釈教材)を一切通っていないし,講師を始めてからもわりと最近まではそういった参考書に手をつけていない。自分にとっての解釈参考書は先の『解体新書』,それから久保田先生の『英文解釈クラシック』が実質はじめてで,これにだいたい同時期に取り組んでいる最中に「解釈」という言葉をはじめて意識した。以降,Zが登場し,勝負に飛び込んで…という感じでこの言葉が表すものを自分の中に徐々に内面化していった。

 

自分の場合,学校教育時代に曲がりなりにも品詞とかSVOCとか5文型とか句と節とか,いわゆる学校文法をひととおりは真面目にやっており,文法にしたがって正しく読むための基本的な手法をもってはいた。いま解釈としてやっている取り組みの原点は中坊時代,教科書の『ニュー・トレジャー』本文全訳だろうと思う。高2の頭までだったかずっと宿題として課されていた。なにしろやっていないと怖い体罰(平手打ちと正座)が待っていたから一生懸命やった。「習った文法を当てはめて順番を正しく組み替えながら日本語に直すものだ」ほどの態度はこの宿題で十分に養われたと思う。

 

高校にあがって受験期に差しかかる頃には,この作業には「英文和訳」の名前がつけられていた。学校で与えられたプリントをこなしただけだが,結構好きだった。高2〜高3の頃は「ベシン」という渾名の担任から「お前は日本語がうまい」と褒められたこともあり,嬉しくていろいろ訳を作った。多少よく分からない単語が出てきても,ベシンが熱意をもって教えてくれた「ディスコースマーカー」の魔法を使えばなんとかなった。こういう意味じゃないとおかしくなるな,というのを未熟な嗅覚で感じ取ってこれまた知的未熟さ漂うガキンチョの日本語を並べ,ベシンが来る前に黒板に書き散らかしておく。授業が始まると「お〜〜ん誰やこれ書いたんはぁ〜?うまく訳せとるやないか〜↑↑」と独特の調子で褒めてくれるから,調子に乗っていろいろ日本語をこねくり回して,なんかかっこいい感じの日本語に仕上げていく。クラスメイトが「馬は…」と書き出すところを「馬なる動物は…」と書いたりして,たったこれだけで「高級な知的営為を成したゼ」とか思ってたんじゃないか。恥ずかしいくらいに青いなあと思う。とまれ,この時期までには「構造把握の通りに日本語にしよう」「単語の意味は文脈を使えば汲み取れるときがある」「なんかかっこいい日本語にしたほうがウケがいい」というのが経験則としてマイルールになっていたと思う。振り返るとベシンは素晴らしい先生で,「関係詞の制限とか非制限は実は関係ないから訳に困ったら前からでも後ろからでも好きに訳せ」とか「カンマ接続詞ときたら一回訳を切ってまた文をはじめたほうがきれいに行く」とか「anyには『どんな〜ても』がお似合いなときがあるから訳しにくいときは一個譲歩の節を付け足してしまえ」とか訳出の技術を教えてくれていた。訳出の技術というとコワザ感があるが,実際のところこういうのはより深い理解に向かうための大胆な離れ技と言って全然良い。「訳出はわかれば柔軟でもええんやな」というくらいの気持ちで,このときは心にしまっていたような気がする。

 

浪人のときはあんまり英語が伸びた実感がしない。むしろ模試での得点力が伸びた。一回落ちて辛酸なめた大学入試に多少はリアルに向き合ったからだと思う。「和文英訳の答案でポエム書いちゃダメだ,求められてるコタエを書くんだ」という気持ちがあった。ベシンだから褒めてくれていた青臭い日本語訳は,東進の採点バイト大学生軍団はどうも分かってくれない。連中は頭が悪いんじゃあないかと思っていた。自分の訳が未熟だからだと反省し,かなり構造に忠実な訳を心がけるようにしたら得点をいただけるようになった。

 

運よく大学に滑り込んでからは暗黒時代を迎える。暗黒なので書くことが何もない。すべてがマックラ。記憶を消去してしまったのか覚えていることが一つもない。なんでだ? 不思議だなあ。(これは何かの拍子に思い出しでもしたら「くそったれ!大学時代」と題して別にエントリを立てる)

 

気付いたら英語教育業界に飛び込んでいて,英語の読み方・理解の仕方を教える立場にいた。自分の英語への向き合い方は上記の通り「構造把握した英語をいかに日本語に落とし込むか」的なところが大きかったものだから,しぜん指導もそういった方向性のものになる。ただ,冒頭で言った通り「解釈」という言葉には比較的最近まで馴染みがなかった。この言葉との正式な出会いはやっぱり2019年夏の『解体新書』,それからTLでの言及は少ないが2020年の『クラシック』かなと思う.ああ自分がやっているのは「解釈」って言うのか〜と「英文和訳」からの屋号変更が行われた。

 

ただ,その行為の本質の理解はおおむねのところ変わっていない。経験則に基づいたゆるいルールが相当程度改善され,一種の方法論が組み上がってきたと思う。とにかくまずは厳密に文法を当てはめていって統語構造(この時期に知ったかっこいい言葉)を掴む。そのなかで,例えばある特定の語が含む語感からだとか,あるいは前後にある文との繋がりだとか,そういう目に見えるヒントをもっともっと意図的に使っていくことができる。こういうことを学んだと思う。その前までの態度は,冒頭の2018年の訳文を見てもらえればわかりやすいんじゃないか。例えばlives objectivelyなんかは苦し紛れに「あるがままの世界を生きる」とか訳している。これなんかはもうこの単語しか見えていない。objective =「客観」という語と語の変換から捻り出した苦肉の策なんじゃないか。余裕が一切ない感じがする。subjectivelyではないと考えたり,後続する敷衍を的確に拾えたりすれば,「思いやりをもって」とか「周りを気遣って」とか「人のために」とか「自分を殺して」とか,もっともっと適切な訳語を選べた気がする。とにかく2019年夏以降の時期は,「文脈を考えよう」とか子供ダマシな言葉遣いとは違う形で,読み方の技術をより一層洗練させることができたと思う。

 

一昨年の6月くらいにZとcome談義で盛り上がり相互フォローになった。しばらくして北村先生のツイートに引用RTで訳文晒したら,幸いなことにZが一目おいてくれるようになった。このあたりに英中さんや見習いと深夜のコロケ三番勝負で遊んだりした(ムキになった時もあった笑)。神童かばん屋の伝説の辻斬りがあったのもこの辺りと思う。とにかくフォロワーと敗北しまくって遊んだものだから,無茶苦茶英語力が上がった。嘘つき那杜が断罪されたり,寡黙なポストTOEIC主義者裏三郎が現れたりと,いろいろ面白いこともあった。そんな中で『英語教育』英文解釈演習室の「勝負」が静かに幕を開けた。

 

え,やばい。いろいろ思い出して整理して書いてたらこんな時間。続きは明日にしちゃお。バイバーイ。