ゆるふわふぢげたんカフェブログ

森の小さなカフェの常連の英語講師(藤本亮太郎)によるブログです。お店の日常をあげているインスタもよろしくおねがいします。@koshinkokunihon

めしつくり体験.

こっちに出てきて一人暮らしをはじめて11年になる.

 

俺は実家が成り上がり地方豪族みたいな感じだからまあ甘やかされていたもんで,こっちに出てくるまで家事なんて全くやったことがなかった.洗濯掃除料理,家事の類はぜんぶオカアチャンがやってくれていた.生活のイロハも知らずに突然東京で一人暮らしをはじめたから,最初のうちはけっこう生活の仕方に苦しんだ.

 

やっとこさ家事を人並みにこなすことができるようになったのはわりあい最近かもしれない.元来掃除も好きじゃなかったし,一時期まではけっこう部屋が散らかってて汚かった.ゴミ出しの日を忘れて大変なことになったことも一度や二度じゃない.生きるのに最低限必要な所作は子供の頃からどうにかして仕込んでおいた方がいい.家庭科の授業とか,けっこう大事なんじゃないかと思う.俺は子育ての経験がないけど,こうゆうのは家庭でも面倒見れそうな教育として大切にしていいなと思う.

 

一人暮らしして初めて作った料理のことを覚えている.野菜を炒めればいいんだろうと思って,モヤシと茄子を買ってきた.いま思うとあんまり良い組み合わせじゃないよなあ.まあ当時は素人だったからそうゆうものを作ろうと思って,フライパンに油敷いて火をつけて,モヤシをどばっと投入.それで,ここからが馬鹿なんだけど,モヤシを入れた直後に茄子を切り始める.なにぶん素人だから切るのにも手間取る.そもそも切り方からわからないんだから,どう刃を入れるのが良いか考えたりするわけ.不揃いでぶざまな形にゴトゴトやってると,高温の油の上にのっかったモヤシが煙を発している.やばいと思って何を血迷ったか水を投入.茄子を切り終わったときにはモヤシがお湯の中にくつくつ揺らいでいる.ええい,ままよと茄子投入.火が入るまで待ってたらモヤシはくたくたで透明になって全然美味しそうに見えない.ひとまずお湯を捨てて,醤油をかけて一口食べてみたら不味いのなんの.食えたもんじゃなかったので捨ててしまった(農家の方に申し訳ない).炒め物に失敗したとお袋にメールを送ったのを覚えている.

 

それから後はあんまり詳しく覚えてないんだけど,味噌汁を覚えて,炒め物を覚えてと,インターネットのレシピなんか見ながらちょっとずつ「男の自炊」を組み立てていった.料理に興味があったわけじゃないから,食えれば良いってスタンスで適当に作っていた.白米と味噌汁と冷奴的な感じです.

 

20代の初めで居酒屋バイトをはじめてから料理がもっと身近なものになった.おじいちゃんのマスターが一人でやってる赤提灯のこぢんまりした店だ.cozyってことばが似合ってるんじゃないのかな.初バイトの日,まかないをいただいたんだけど5分くらいでシュババって食ったら怒られた.「料理はそんな食い方するもんじゃない,もっと時間をかけて味わいなさい」と.うーん確かにそうだと驚いた.料理は生命を食べるとか,作り手の真心が込められてるとかゆうけど,だったらばいただく側もそれに応える心意気で臨むのが当然だ.部屋で自分ひとりで食べるんなら構やしないだろうけど,その場に作り手や一緒に楽しむ相手がいたら,食べる作法も気にかけないとといけないね.

 

作法とゆえば,マスターは食い道楽だったからいろんなお店に連れてってもらったんだけど,一回俺が箸を茶碗の上に置いたことがあるんだよね.瞬間,マスターが職人の眼差しをきっとこちらに向けて「箸置きがあるんだから箸はそこに置きなさい.道具が出されたら,ちゃんと役割を与えてやりなさい」と.マスターは「役割を与える」ってゆった.俺はそれまで食器をそんな目で見たことがなかったから,これはけっこうビビったなあ.なんとゆうか,モノに対する敬意がすごいんだよね.本物の職人だなと思う.俺はそこから,料理に限らず「そこにあるものには役割を与える」とゆう態度は大事にしている.生徒にも授業で言ったことがある.消しゴムを使わずにぐちゃぐちゃって塗りつぶす生徒いるじゃないですか.それに,消しゴムに役割を与えてやらないとダメだよ,とか.この姿勢は死ぬまで大事にしたいなと思う.

 

居酒屋では給仕と酒作りしかしなかったけど,真隣でマスターが調理してたからじいっと観察して家に帰って試していた.白身の煮付けはこの味付け,青身だったらこう,茄子は高温,バターや水飴はコクを出す,塩味は舌を騙して旨味と思わせるなどなど,マスターの腕が織りなす魔法,それから暇なときにブラブラ出てくる蘊蓄でいろんなことを学んだ.舌もだいぶ訓練されて少しは鋭くなった気がする.いまでも一人暮らし男の趣味程度にしかできないけど,料理はだいぶ好きになった.そのまま舐めてもクソ不味い調味料も,あわさって絡み合うと一気に美味しくなる.そこにストーリーがあるから好きなんだ.俺はストーリーがあるものは本当にめちゃくちゃ好きなんだよな.

 

昨日ヒラメをやろうとしたらカレーが出来ちゃった話をツイートしたけど,ああゆうのなんかもしっかりとストーリーだ.まな板の上に食材置いて眺めてるとゴールを忘れてワクワクする.ああしようこうしよう,あれを入れたらうまくなるだろう,これを入れたらどうだろうとか,いろんな筋書きがばちばち頭の中で弾けて,繋がって,入れ替わって,そんな妄想を頭の中で繰り広げていたらいつの間にか手が動いている.それで気づいたらヒラメがカレーになってるわけ.そのカレーが今日のヒラメでソースになってたりするから面白いよね.失敗もあれば成功もあるわけだけど,そうゆう筋書きの種が自分の中に溜め込まれて行って,この前外で食べたあの料理の味とか,ツイートでたまたま目に入ったフォロワーの料理写真とかいろんなものがトリガーになって,ああでもないこうでもないと夢中で組み立てていく.英文解釈みたいじゃん.まあゴール決めて作ることが大半なんだけど,昨日のはよかったな.寄り道したら全く違う街につきましたが用は果たせましたみたいな感じで.

 

ブログのネタ何にしようってぽんにゆったら自炊にしろって返ってきたから思いつくことをつらつら書いた.コロナが終わったら久しぶりにマスター誘って美味しいもん食いに行きたいな.そうゆえば箸置きの教訓を語ってくれたマスターは酔っ払うと箸置きを使わないんだよね.「人間」って感じだなあ笑

 

今日は受験勉強をしなかった.