ゆるふわふぢげたんカフェブログ

森の小さなカフェの常連の英語講師(藤本亮太郎)によるブログです。お店の日常をあげているインスタもよろしくおねがいします。@koshinkokunihon

今日は大学のときの教科書を読んだ 〜くそったれ!大学時代(1)〜

今日は大学のときの教科書を読んだ.

 

なんだかんだ大学に未練たらたらなので,もう一度コマバで学生やっていろいろ取り戻したいななどと思っている.

 

anokoro*と比べると英語の力は本当についた.在学時からだけど,泣きながら基礎をしっかりやってよかった.いまだに満足に読めも喋れもしないが,それでもanokoroの億倍くらいはできるようになった.今なら,当時読めなかった論文も読めて,レポートも書けて,ディスカッションにも参加できるんじゃないか.今なら,あのときできなかった諸々をこなして自分を認めてやることができるんじゃないか.挫折が大きい分最近はそんなことを思ったりしますね.まあ節目の年齢迎えたからとゆうのもあるのかもしれない.今日などはふと大学のときの学部の指定教科書を思い出して,棚から出して読んでみたりした.

* 俺は自分の好みの問題で「あのころ」をanokoroと表記する.これは「言う」を「ゆう」とゆうようなもん.

 

A Political History of the USA: One Nation Under God (Bruce Kuklick)

 

実は過去にも何度か引っ張り出してきては目を通し,自分の成長具合を確かめている.1ページ目からマーカーだらけで,claimedに黄色マーカーして下にdemandとか走り書きしてたりする.うーん本当に英語分からなかったんだね.claimくらい分かれよと思う.7年か8年そこら前の話じゃないか.

 

ひととおりパラパラと読んでみたけど,特につっかえることなくスーっと読めている感じ.まえに読んだときは1行1行目を動かして「大きな滞りなく読めているな」とゆう実感だったんだけど,今日はむしろパラグラフをもっと雑に眺めながら意味が入ってくる感じ.たぶんだけど英語の構造把握が無意識化できるところが増えたのと,単純に情報処理能力が上がったんだろうね.気になったところはwikipediaとか適当な記事をあわせ読んで英語で理解を深めたり裏付けたりすることができる.こうゆうのも最近はわりとパパーっと読めている実感が強い.敗北したものをしっかり捨てずに取っておいてよかった.無意味に人と英語力を比べなくてすむからな.自分の比較対象に自分を置くのは卑屈にならずにモチベーションをしっかり高める賢い手だと思う.

 

disproportionatelyとゆう単語に黄色いマーカーがふってあり,「ふつりあいに」と書かれてあった.俺はこの語で恥ずかしい思いをしたことがある.この教科書とは別だけれども,表象論かなにかの輪読の授業でこれを「ふつりあいに」とそのまま訳してみたところ,先生とクラスから失笑をいただいてしまった.あんまり文脈は覚えてないのだけど,「ふつりあいに」とゆう訳語がとてつもなくふつりあいな文だったのは覚えている.先生に「そこは〜と〜が規模的に見合ってないことを考慮して別の日本語にしないとダメだろう」みたいなことをゆわれた記憶がある.ああそうやって読むのかとゆうエウレカエフェクトもあったんだけど,それよりももっともっと恥じの方を感じた.隣でサークルの後輩も笑っていた.英語はおもんないなと心底思ったね.

 

当時英語は本当におもんなかった.クラスの外人と会話が全く通じなかったもんだから,いろんな授業でいつも孤立してたし,白人の青い瞳とか黒人の暗い肌とか見て「コイツら自分とは異種だな,怖いな」とか思っていた.差別主義者みたいだけどこれは本当で,けっこうマジで連中はベツモノだと思っていた.まあベツモノではあるんだろうけど,多少なりとも話が通じ合ってたらそんな冷たい見方もしてなかったんじゃないか.

 

日本人のクラスメイトはまあ帰国が多かった.俺は同期とはあんまり折り合いが良くなかったんだけど,ひとつ上にアカネっちとゆう帰国の女の子がいて,この人はけっこうよく面倒みてくれた.根っからの陽キャで,出来損ないの俺にいろいろ教えてくれたりしたんだけど,結局最後に投げ出して期待を裏切ってしまったなと思う.期待とゆうか,好意*をないがしろにしたんだね.よくないことをしたなと思う.

* フレンドシップに基づいた好意のことです.

 

アカネっちはひとつ上だったから卒業してからは友達がますますいなくなって非常につらかった.学部じゃ孤立マンだったから,院生のカトウさんと良く遊んだ.立命からやってきた貧乏で面白いパイセンだった.いつも生協の98円のシーフードヌードル食ってたな.深夜のコマバで建物に侵入してよくわからん地下に潜入してたら警備員に見つかって慌てて逃げたこともある.大学生だなあ.

 

卒論中間発表の原稿とかはけっこう頑張ろうと思って研究室に泊まったりしてた.1日数ページ程度だけど一生懸命読んで,なんとか英語で2枚くらい書いて中間諮問会に出席した.俺は英語じゃなくてもそうなんだけどけっこうマネゴトをするのが得意なんだよね.当時英語を書いてたときもそうで,まあそれなりに読んだものだから,なんかこの言葉はこうゆう使い方してるなってのをしっかり察して,そうゆうのをくっつけて原稿を書いた.そしたらどうもその英語がけっこう出来がよかったようで,教授陣が「オマエの英語力でこの英語を書けるわけがない,丸写しではないのか」みたいなことを指摘してきた.科で一番怖い矢口ユージンとゆう先生(コマバ同期の人にすれば有名人だろう)が俺の目を見て,一語一語たしかめるように,Did you really write this? ってゆうワケ.それで俺はなんとそこで「いやいや,僕が書いたに決まってるじゃないですか!!」のつもりでNo!! No!!ってゆっちゃったんだよね.いやあこれは疑われても仕方ないよね.本当にバカだなあと思う.このシーンはマジで焦ったからけっこうくっきり覚えている.

 

疑われ事件がきっかけでけっこう何もかもどうでもよくなった.まあ誰も評価してくりゃしませんよみたいな幼稚な落ち込み方をしてそのままズルズルと…とゆうわけです.今思い返せば授業態度も悪かったし,疑われても全然しかたないですね.

 

どうでもいいことを思い浮かぶままツラツラ書いてしまった.本題は「けっこうできるようになったなって実感しました」ってことで,俺はこれだけ書きたかった.継続は力なりってゆうけど,これは本当だね.最近は1日に処理できる量もけっこう増えてきているから,このまま続けたらまだまだ伸びるんだろう.それはそれで楽しみだ.さて,大学戻ってももう英語で泣くことはないだろう.当時よりいろんな面で余裕も生まれたし,英語での意思疎通もある程度心理ブロックは外れてるだろうから,外人集団ともそこそこ話せると思うね.さっきも書いたけど,当時は本当に英語はつまらんかったしなくなれと思っていた.今はそうゆう負の感情がない.俺は自分が英語が好きなのかどうかはわからないと自認してるのだけど,これを扱う技能がいくぶんついたおかげで文字にあたる範囲が広がったのはよかったと思う.英語がどうとかはわからんけど,文字にあたることは昔から好きなのだ.

 

仕事もなくてやることないから,大学に戻ってみたいなとかそうゆうことをいつもより頻繁に思いつくのだろう.それにしてもなんか知らんけど昔よりもやりたいことが増えた.あんなに何もやりたくない無気力マンだったのに.今度,コマバの空気を吸いに行こうかな.コマバの裏門から歩いて渋谷まで行こう.年を重ねて視野がだいぶ広くなってるから,記憶にすっかり染み付いたいつかの景色も新鮮に映ったりするだろう.

 

今日は上記の教科書を読みながら世界史の教科書を開いて読んだ.従って,本日は受験勉強をした