ゆるふわふぢげたんカフェブログ

森の小さなカフェの常連の英語講師(藤本亮太郎)によるブログです。お店の日常をあげているインスタもよろしくおねがいします。@koshinkokunihon

昨日はもぎじぎょうをした.

昨日はもぎじぎょうをした.最果ての砂漠で労をしたあと都心に移動し,センター試験的な読解問題をえらい人の前でじぎょうした.昨年4月就活時ぶりのもぎじぎょうだった.中身としては味もそっけもない文章だったが,入念に予習してじぎょう構成をしっかり考えた.昨日は一日じう緊張していた.

 

40分間ほどじぎょうをしてフィードバックをいただいた.大手でも教鞭をとっていらしたとゆうベテランの先生だった.じぎょうを人に見せることなどふだんはなく,自分のちいさな頭脳のなかでいろいろ試行錯誤していただけだから,こうゆう機会はとても貴重だし示唆的だった.

 

生徒を参加させるひと工夫だけで自分のじぎょうはもっともっと良くなるとゆうことを痛感した.ひと工夫のやり方は今までよくわかっていなかった.これがクリアに見えたとゆう点で,自分にとっては大きなブレイクスルーになる日だった.ありがとござます.

 

お話を伺うなかで,けきょくこの業界もサービス業であることに変わりはないとゆう点も改めて胸に刻み込むところがあった.顧客満足度を安定的に引き出せることが一番求められる力だ.生徒が「自分が参加している」といつの間にか思えているじぎょうづくりが,自分が求めるべきところだ.クラスが100人いようが1000人いようが,自分個人に語りかけているような,そうゆうじぎょうがいいね.まあ今はひとクラス1人なわけですが(一同爆笑)

 

この時期講師オーディションを見ていると教えかた,英語の理解,さまざまな面であたらしい発見を与えられる.一方で,ここで目にしているものはあくまで映像とゆう表現手段での指導アプローチだ,とゆうのも繰り返し自分に言い聞かせているところではある.カメラ越しに見えない生徒を相手取るのと,目の前に目を輝かせた(あるいは退屈そうな)子供を座らせるのはかなり条件が違う.あくまで自分の土俵は後者であることを忘れないようにしよう.てか,直接評価を下される相手が目の前にいるとゆうのは冷静に考えると不特定多数に見られる映像よりぜんぜん緊張感ある状況やな.

 

最近の趨勢として映像が目に入りがちで,美しいじぎょうに常々晒されている環境にも慣れてきたところだからこそ,末端の自分が本当にしなければいけないことがあって,そこから離れないようにしようと,しないといけない.こうゆうのはこうやって書いておかないと,今後正しい戒めにならない気がする.人間,どこかのタイミングで本質から逸れようとしてしまうこともあるでしょうから.

 

昨日は受験勉強をしなかった.